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PHILOSOPHY
 黒の意味
黒は淫微でエロティックである。白い肌に黒い下着のイメージは高貴な近寄り難い美しさとともに淫らな女の身体の秘密を垣間見せる。黒は高貴さと猥褻さの危ない不安さを持っている。
すべて色彩の光を混ぜると白くなり、すべての色彩の絵の具を混ぜると黒くなる。白と黒は世界のすべてを意味している。
キリスト教的世界観からは光は神であり善を、影は悪魔であり悪の意味を象徴したりする。近代デザインはゲルマン的な理知的な美意識とキリスト教的な価値が支配していて合理性と白い輝くイメージが近代デザインの象徴であった。
GOMの艶のない光をすべて吸収する黒はその近代デザインを拒絶し、近代デザインへの反抗でもある。
黒い衣服は日本でも西洋でも正装かあるいは喪服である。黒は高貴さを表現すると同時に死をイメージする悲しい色でもある。
GOMは黒い色であることでこれらの黒のもつ意味を引きずっている。高貴さとともに地獄や死のイメージや淫微さを、そして、日本の闇や影の美意識さえ引きずっている。
 素材の記憶
我々の記憶にあるゴムという素材は泥に汚れた自動車のタイヤであったり、工場の機械の足下の油まみれのショックアブソーバーだったり、水道の蛇口のパッキングや建築や車のサッシのシールだったりする。ゴムの記憶は決して美しい風景ではいない。
人の価値観は過去の積層した記憶が支配している。それも、自分だけの記憶ではなく、先祖からの、いやそれ以上に、生命が生まれた時からの遺伝子情報として我々の価値観をつくりあげている。今、生きている人の価値観はそれまでの記憶が決めている。人々はもう一つの生命の神秘、「生きる希望や夢」の力の狭間で未来を描いている。
GOMはこのゴムの汚さや影の如き存在を引きずっている。
ゴムの記憶とは別に柔らかい素材は生き物を連想させている。動物などの自然界にあるものはすべて柔らかい、それなのに、どうして人間のつくったものは硬いのか?という人工物への疑念がGOMに潜んでいる。伸び縮みする人の身体のような建築や都市を造りたいと考えていた。当時のゴムへの僕の異常な程の愛情はその触覚的なゴムという素材のフェティッシュな存在感にあったのではないかと思う。
GOMのシンプルな形状であるのに、饒舌で強い存在感はこのような素材の深い意味の集積があったからなのだろう。
 素材とかたち
近代主義的建築とデザインが普及して、日本独自な風景が破壊された。まさにその頂点となる1970年の大阪万博では近代建築と高度成長期の華麗な建築の「形態と光のショー」が展開されていた。そのような視覚重視に時代に素材と言うキーワードを初めて提示するGOMが登場したのである。このプラスティックと金属の全盛時代でのGOMの登場は始めから近代主義への反抗の匂いを持っていた。
今思うとGOMには日本の美意識が色濃く漂っている。日本ではそもそも形ではなく素材や存在そのものが重視されていた。日本の家屋の構成はシンプルで木材や紙や壁土など自然の素材を大切にしていた。衣装の世界でも西洋の衣服は形とスタイルが大切にされていたのに、日本の衣装はたった一つの形に決まっていて、織綾や色彩や柄などの素材感が多様だった。
日本人は形ではなく素材をこそ大切にしていたのである。自然との融和、自然との一体感を心地よいものとした美意識のせいで自然と共に滅びることさえも美しいと考えていたのである。
GOMは高度成長期の始まろうとしていたその時に日本人の美意識を主張していたのである。
 意味の衝突
ソフトな素材であるからこそ、直線と円弧でできたシンプルな形が選ばれることになった。生き物はソフトな感触で同時に有機的な形態を持っている。そうあるのが自然なのだがそれを人工物で試みると不潔になる。創作しながら発見したのは「素材がソフトだからこそ形態はシャープがいい」ということだった。これはアンドロジナスの美なのではないかと思う。男なのに女のようなやさしさを持つことや女なのだからこそきりっとした姿勢を持つことが美しい。二つの意味が衝突してこそ現代的な美しさが顕われるのではないかと思う。
美とは調和ではなく調和が壊れていく瞬間に顕われるものである。調和は安心であり秩序へ指向することなのだがその向かう先は死の持つ意味と同じものに思える。生命は破壊的な瞬間にこそ立ち上がるということは多くの人が指摘している。カタストロフという概念は破壊が生命を燃え上がらすことについての数学的な説明である。ルネ・トムはその著書のなかで母親と子供のエピソードを語っている。どんなに叱って勉強を勧めても冷静な示唆では子供の心を動かすことは出来ない。冷静さを失って怒りにまかせて始めて子供の心を突き動かすことになる。これがカタストロフの瞬間だというのである。
このように破壊的な出来事こそ生命的であり美しい。
デザインも調和が美を生むとは限らない。GOMの美しさは柔らかい素材と硬い形が出会うことで起こる意味の破壊の美である。GOMの美はアンドロジナスと同じように二つの両極の美意識がぶつかることで生まれた鮮烈な美なのだ。

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